社内で化粧をする女性 最近、電車の中で化粧をする若い女性をたびたび見かける。思わず目がいってしまうが、当の本人は周囲の人がまったく目に入らないかのように平気な顔で化粧を続けている。人に化粧をする姿を見せることが恥ずかしくないのだろうか、そう思う一方で、揺れる車内でもきれいに化粧をする様子を見て、器用なものだなと妙に感心させられたりもする。 車内での化粧が目に付き始めた頃、新聞にこの問題についての対談が載った。車内で化粧をするという女性とそれに対して批判的な意見を持つ男性の対談である。車内での化粧が平気なのはなぜなのか、女性の考えがはっきり語られていて、なかなか面白かった。 女性全般に奥ゆかしさや恥じらいを求めるというこの男性は人目もかまわず化粧をする女性に「恥じらいの気持ちはないか」と尋ねている。彼女からすれば、自分が会う人に対して恥じらいも敬意も感じるからこそ化粧をするということだ。彼女によると、周りにいる乗客が人として意識されず、風景のようなものになっているから化粧ができるのだとか。確かに、風景に対してなら恥じらいを感じることはないわけだ。彼女の中では自分と関わりを持つ人とそうでない人との間にはっきりと線引きがなされているようだ。 更にこの男性はこの女性に対して社会的空間である車内でほかの人にとって見たくないものを見せるということは問題ではないのかと問いかけている。彼女は次のように答えている。公の空間なのだから常に公を意識して振る舞わなければならないという主張と、公の空間の中に個人の空間があってもいいという私の考え方の間には根本的なずれがあるのではないでしょうか。 この女性の意見に対して、マナーの低下を指摘することは容易である。実際、最近では、車内で化粧をする女性ばかりか、床に直接座り込んでいる若者やカ ッ プ 麺 を食 べ るものまで見かけるようになった。しかし、以 前 から同 じ車内で周囲の目も気にかけずに家 庭 に持ち込み にくいような写 真 の載った新聞や雑 誌 を堂 々 と広 げ 、多 くの女性の顰 蹙 を買 う男性が少 なからず言ったことも事 実である。 ここで、先 の女性の発 言 を振り返 ってみ るとこうした一連 の現 象 は日 本人の空間認 識が変 わったと捕 らえることも可 能 であろう。即 ち、社会的な空間の中に勝 手 に個人的な空間を...